『私とADA』・・・第三幕(最終章)・・・
今まで私が夢中になった物が二つある。
一つは今から50年程前に遡る。
当時高校生だった私は受験勉強の真っ只中だった。と言うのは真っ赤な嘘で、勉強が大
嫌いだった私は受験勉強をするふりをして毎晩深夜放送にドップリだったのである。
父親の大切な宝物だったSONY製の当時としては比較的高価だったトランジスタラジオを
持ち出しては毎晩のように深夜放送を明け方の5時近くまで聴き耽っていたのだった。
当時人気者だったのは野沢那智・斉藤アンコー・土居まさる・みのもんた・落合恵子な
どだった。
当時から少し捻くれていた私はそのような人気パーソナリティーとは少しばかり違った
一人の局アナパーソナリティーに入れ込んでいた。
受験勉強のフリをして毎週のようにリクエスト葉書を書き、お便りも書いた。
そのおかげで、答案用紙を書くよりも上手になり、リクエストは数十回、お便りも10回
以上は紹介された。
そのくらい真剣に受験勉強をしていればと、社会に出てから気付くのでは遅すぎたのだ
った。
その頃、彼は中学2年生の頃から熱帯魚を飼い、道路工事などのアルバイトをしてピラ
ルクを買い、高校生になってからは120センチ水槽を手に入れブラックアロアナなどの
大型魚を飼っていた。高校生になってからは、自転車部に入り国体にも出場した。進学
は司法試験より難しいと言われる競輪学校を受験し、見事に合格しプロの競輪選手にな
ったのである。(伴野準一著 「ニッポン熱帯魚伝説」より引用)
どこかの、ぐうたら受験生とは比較にならない学生だったのである。
そう、その人こそADA(アクアデザイン アマノ)の創始者 天野尚その人であった。
天野氏は1954年生まれで、1955年生まれの私とは私が早生まれだったので同学年だった
のである。
今更ながらに学生の時はしっかりとした目標を持ち信念を持って目標に進んでいく事が
将来の財産になるのだと思った。(今更遅すぎるのだが・・・)
その頃の私は新潟といえば遠い雪国で、日本むかし話に出てくるような藁葺き屋根の民
家が点々として人もあまり住まない暗い所だと真面目に思っていた(失礼)
私が初めて新潟を訪れたのは40歳も過ぎてからの事だった。
その頃私は「水草レイアウト」に夢中だった。
と言うより、「ADA」に夢中で、「天野尚」に夢中だったのである。
THE NATURE AQUARIUM(1995年発刊)という本で見たADA社屋と白衣を着た社員の写真が
あまりにもカッコ良かった。
ある年、新潟で天野氏の写真展があると言う事で意を決して人も住まないと思っていた
雪国へ向かったのだが、道中、関越自動車道からは、田畑の上に朝靄がたなびくモノク
ロームの風景は遠い昔を懐かしく思えるなにか気持ちの落ち着く場所だった。そこは素
直にこう言うところに住んでみたいと思える街並みだった。
関越自動車道の巻潟東インターチェンジを出てほんの少し行ったところにADA本社はあ
った。
建物は、都会でも見たことのないような洗練されたもので、まわりには木々が生い茂り
まるで避暑地の美術館のようだった。
「カッコイイ!!」当時40をかなり過ぎたおじさんが夢中になるほどに素敵な建物だっ
た。
この社屋の中に天野尚とあの白衣を着た社員達がいるのだと思うと胸の高まりは最高潮
に達して
かなり緊張して門をくぐった。
入り口を入るとすぐに巨大な水槽が迎えてくれるのだが、一瞬立ち止まり、そのピント
張りつめた緊張感と、微かな水の香りの中に圧倒的な美しさと自然観に溢れる水景を目
の当たりにし、時間の経つのも忘れるほど見入ってしまっている自分がいた。
水はどこまでも透明で、水草は光合成により気泡を放ちきらきらと輝き、魚たちはまる
でそこが自分の生まれ故郷であるかの如く笑顔で遊びまわっている。
これだ。これが本物の「ネイチャーアクアリウム」なんだ!
僅か40年足らずの間に彼は「セカイのアマノ」になっていたのである。・・・・・
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彼が旅立ってから早いもので6年という年月が流れた。
心にぽっかりと穴が空いた私も少しずつ立ち直り、小さいながら夢にまで見た自分の水
景スタジオ(アトリエ)を持つ事ができた。
第3回目から参加してきた「世界水草レイアウトコンテスト(IAPLC)」も最近では初期
の頃とは想像もできないほどに様変わりした。世界のレベルが上がると同時に表現の仕
方も多様化し私のような発想力の乏しい古狸には思いもつかないような手法が用いられ
るようになってきた。
多分もう追いつく事すら出来ないところへ行ってしまったのだと思う。
が、しかし、おそらく古狸の挑戦はしばらく続くと思う。自分で水槽の中に手が入れら
れなくなるまでは。
近年では古くからの参加者が少しずつ消えているのが寂しい。
好きだったレイアウターが何人もいた。みんな美しい水景を作っていた。みんな目標に
してきた方達ばかりだ。
私は表現の仕方が多様化する中、今でも純粋にアマノ式水景に少しでも近づけるように
なりたいと思っている。
そう、私の「水景道」を極めるまで。・・・・
私のスタジオには天野氏が撮影した佐渡の「千竜桜」の写真パネルが飾ってある。
私の宝物の一つだ。
第二回「天野尚と行くドリームツアー」で、天野氏を囲み参加者たちでお昼の弁当を食
べた思い出の場所だ。そうだ、もう一度行ってみよう。そう、桜のシーズンが終わった
、誰もいない、6月のあの時と同じ季節に。・・・・・・・・・・完
・・・・・・・・・・・・・・『良い出会いは人生を豊かにする』・・・・・・・・・
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