『私とADA』・・・第二幕・・・
当時私が熱心に通っていたショップには常連と言われる人が何人もいた。
勿論私などは単に休みの日に顔を出す程度の流しの客で、
当時はグリーン・ロタラをやっと育成できる程度の技量しか持ち合わせしていなかった。その頃ショップでは独自に「水草レイアウト」コンテストを開いていた。
ショップに入って一番目につく特等席に60センチ水槽がずらりと並んで、
それはそれは美しい水草レイアウトを常連のお客様たちがその腕前を競って作り上げていたのだった。いつの日かこんな綺麗なレイアウト水槽を自分でも作れる日が来るといいなと、いつも心の中で思っていた。
あれは私にとって2回目のADA「世界水草レイアウトコンテスト」の結果発表通知が届いた日のことだった。
今では全世界一斉にネットでの発表となっているが、当時は郵便で結果通知がどどき、開封するときのドキドキ感がたまらなく、まるで受験の結果通知を見るときのように、開封前に封筒を透かしてみたり重さを計ってみたりした物で参加者それぞれに開封の儀式などもあった。
結果は「53位」2回目にしていきなりの入選だった。心の中で「やった!」と叫んでいたのを覚えている。
こーなるといてもたってもいられず、いつの間にか足はショップにむかっていた。
そこには当時常連さんと言われるレイアウトマニアが集まっているであろう事は簡単に想像ができた。
ショップへはフラリと立ち寄った素振りで自動ドアの入り口を入り、右手奥のテーブル席に目をやると、やはりそこには6名程の常連さんの集まりができていた。
私は心の中を悟られないようにその集まりを素通りし、あたかも水草販売水槽を目指すように足早に進んだのだが、常連さんの集まりの中から「〇〇さん、コンテスト出したんでしょ。どーだった?」と声がかかった。
立ち止まり、常連さんの集まりの方に目をやるとそこには白髪混じりの細身で真っ黒に日に焼けて、いつもの前掛を締めて大きめのメガネの向こうから優しい目でこちらをみている人がいた。店主だった。そういえば店主にはコンテストに応募したことは伝えたあったのを忘れていた。
「あー、53位でした」とまるで俄か作りの謙虚さの塊のような弱々しい声で答えたのを今でも覚えている。
と同時に、常連さんから響めきが上がったのだった。
「一体、誰なの?」「53位?」「すごいねー」さまざまな声が上がった。
聞いてみると、店主は優秀賞であり、その他私より順位が上の方はお一人だったとのこと。
つまり、常連さんから見れば、今まで見ず知らずの流しの客が突然53位という順位で目の前に彗星の如く現れたのだからびっくりなのである。
その時が、私が常連さんの仲間入りをさせて頂いた記念日なのである。
それからがすごかった。
毎年行われるコンテストには必ず参加し、優秀賞・入選など多くのメンバーが何年も続けて受賞した物だった。当時のAjには「西の〇〇○、東の□□□」とまで紹介され、長きにわたりコンテストでは常勝する集団となり□□□軍団と呼ばれていた。
当時、毎年のように新潟で行われていた「ネイチャーアクアリウムパーティー」にも必ず参加しついにはベンツ製の豪華バスまで貸し切り、大人数で参加したこともあった。
そのおかげで海外のアクアスケーパーとも交流が始まった。
最初の交流はブラジル日系3世のレナトだった。レナトを通じてアンドレ、ルカ、フェルナンド達との交流も始まった。
そう、今のADA「IAPLC」の審査員アンドレ・ロンガルコその人である。
ADAを知ることがなければ、地球の反対側に住む人々と同じ趣味で知り合うことなどあり得ないことだった。・・・・(第3幕へ続く)
・・・・・・・・・・・・・・『良い出会いは人生を豊かにする』・・・・・・・・・
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